学問・資格

2009年7月23日 (木)

面白い書籍

先日、「天才! 成功する人々の法則」マルコム・グラッドウェル著を読みきりました。

実は、同氏の“ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか”は、さわりを読んだだけで面白くなくとっととやめたのですが、その理由が「天才! 成功する人々の法則」の訳者後記に述べられていて、あっそうか!と思わされました。

“ティッピング・ポイント”を読んだ印象は、同氏は事実をつらつらと連ねる経済学者かと思いましたが、それは、翻訳者が原文のディテールまで記述していないことにあるそうです。
そのような批評を、「天才! 成功する人々の法則」の翻訳者が述べ、翻訳以来が回ってきたそうです。

というわけか、今回は結構面白く読むことができましたが、惜しむなくは我が子がまだ小さいときに出版されていたらと、残念に思ってしまいました。

それから、原作と翻訳者ということで、サイモン・シンと青木 薫もすばらしいです。
素粒子物理学博士であるサイモン氏の科学の書籍ですが、科学者の物語が織り込まれていて、ドンドン引き込まれてゆきます。

両氏の著作をもっと読みたいのですが、まだ著作が少ないのでなんともなりません。
今度は、「第1感 最初の2秒のなんとなくが正しい」 (マルコム・グラッドウェル)を読んでゆきます。

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2009年7月 7日 (火)

人を形づくるもの人は「星屑で作られている」(星の錬金術)

今日は七夕ということで星の話題を、

といっても、今夜は雨模様で星は拝めません。第一、このあたりでは古の季節感を重要視して八月七日が七夕ですがねぇ。

で、本題ですが、ビッグバン以前の宇宙は水素で満たされ、約100億年前ビッグバンで宇宙は膨張を初め、その高温の中核融合が起こりヘリュウムが生成されるにいたったそうです。

陽子と中性子と電子が飛び交う霧の中で、光は閉ざされていたものが、宇宙の膨張とともに原子の密度が下がり、宇宙は冷えビッグバンから30万年後に、水素に満ち溢れ、ヘリュウムが融合されて霧が晴れ、やっと光が開放されるにいたったそうです。
現在、この約100億年前のCMB(宇宙マイクロ波背景)放射をマイクロ波として観測できるそうな。
このCMB放射の揺らぎが、原始宇宙の揺らぎ(密度の濃淡)が銀河生成の証拠とのことです。

ビッグバン理論では、水素原子と安定したヘリュウム以外の重い元素の生成が証明できなかったそうです。炭素からそれ以上の原始の生成は可能で、炭素の生成で途切れてしまうわけです。

そして、私たちの体は、炭素はもとよりカルシウム、鉄分と多くの元素で構成されています。当然、人だけではなく、動物、植物、地球上のすべての門がそうなのですが。

これらの元素は、太古の星が坩堝となって生成され、その破片が新たな星を造り、それが、我々の体を作っている、だから「」

これは、2個のヘリュウム4でベリリュウム8が生成され、それぞれ一個のヘリュウム4でベリリュウム8で炭素12が生成されれば、炭素の生成が行われることになるのですが、ベリリュウム8の存在時間が非常に短い為、理論が成り立たなかったとのことです。

これは、励起状態のベリリュムが存在して、励起状態の炭素12が生成され星が誕生したそうです。炭素が生まれたことでそれ以上の重い元素が生まれ、その星が死ぬとき、星が破裂して、宇宙空間にばら撒かれ、それが再び星となりそのとき、さらに多くの元素が生まれてそうです。

ですから、人は「星屑で作られている」と表現されたわけです。

これらは、サイモンシン著「ビッグバン宇宙論」からです。
それにしても、物理学の著作物は、人々人間模様が見事に散らばっていて、ロマンがあって、見事です。

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2009年4月18日 (土)

量子暗号

なぜ、量子暗号では「盗聴されていることが確実に判別できるのか」ということがわからなかった。
量子暗号で鍵を受け渡す場合の手順で考えれば、以下のようになるそうです。

 

 

 

 

A:   <== (データ)
A: × × × × × × ×   <== (送信フィルタ:編極シークエンス)
(送信)
(経路)
(受信)
B: × × × × × × × × × ×   <== (検知フィルタ:編極シークエンス)
B: × × × × × × × ×   <== (正解シークエンス)
B: - - - - - - - -   <== (有効データ)
- - - - - - - -   <== (データ)一致確認
□:チェック用データ

 間違い編極のデータを捨てて鍵とする。

  鍵=111010

ということですが、

  • 完全に正解の編極シークエンスを選ぶことは不可能とみなせる。
  • 途中経路で誰かが(Cとする)盗聴したとすると、間違ったフィルタを検知で使用すると、光子の編曲が変わってしまう。
  • 有効データから任意に選びだし、AとBで一致を確認する。
  • これに不一致があった場合は、盗聴があったと見なされる。
  • 確認に使用したデータを捨てて、残りをかぎとする。

ということだそうです。

なるほどですね。
RSA(公開鍵暗号) が破られる量子コンピュータが登場するまでに実用化しないといけないそうです。なぜなら量子コンピュータでは、素因数分解を瞬時に行い、簡単に自分鍵が求まり暗号が解読されてしまうからのようです。
楕円曲線暗号も同じなのようです。

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2009年2月14日 (土)

ドミノ倒し

サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」を読み進めて、やっと証明の部分に辿りついてきました。証明のクライマックスに近づくほど、こちらはワクワクしてきます。

「谷村志村予想」を証明するために、最初のひとつ(ドミノ牌)を倒し、そしてそこかから、次のドミノ牌を倒し、そしてそれを次の牌を倒し、無限に続くことを証明しなければならなかったというものです。

最初のひとつを「ガロア群」(エヴァレスト・ガロア)を利用して倒し、無限に続く牌を「谷村志村予想」と「コリヴァギン=フラッハ法」で倒して行くことになるのですが。
その中で、無限のドミノ牌倒しの比喩が非常に面白い。

  • 無限の部屋を持つホテル
    • 無限に部屋があるホテルに一人の客がやってくる
    • しかし、フロントは満員ですという
    • 無限の部屋があるのだから必ず空き部屋がある(それがどの部屋かはわからない=無限だから)
    • そこで、支配人が、最初の部屋の客に隣の部屋に移るように依頼して部屋を空け、そこに今来た客を止める
    • そして隣の部屋に今部屋を空けた客が移れば、そこの客を次の部屋に。これを続けて無限の部屋を持つホテルは、無限の客を宿泊できてします

このように、この本は、数学の専門家でなくても面白く、そして、フェルマーの最終定理、アンドリュー・ワイルズに関係する人々について語られているところが面白いですね。

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2009年2月 9日 (月)

ミッシング・リンク

電車通勤に変え、いつも読書するようにしているのですが、今は、サイモン・シン著(青木薫訳)「フェルマーの最終定理」を読んでいます。

この中で日本人のことが登場してきます。無限級数πの計算の桁数最高記録です。

そして、今は、ワイルズの証明の手がかりとなった「谷村志村予想」の部分を読んでいます。これは章=背理法で記されているのですが、ミッシング・リンクの項が出てきます。

「谷村志村予想」とは、「どの楕円方程式も一つのモジュラー形式付随している」というものです。フェルマーの最終定理は楕円方程式に変換され、谷山志村予想が成り立たないことが証明されるとフェルマーの最終定理は証明できないことになるというモノです。

週末ローディの私は、ミッシング・リンクといえば、KMC チェーンの”ミッシングリンク”を思い浮かべてしまいましたが、「連続性が期待されている事柄に対して、非連続性が観察される場合、その比較的顕著な間隙を指す」そうです。
今回は、楕円方程式とモジュラー形式というまったく異なって見えるものがつながっていることを示すようです。(連続性自体はまたモジュラー形式でもあります。)

谷山豊は31歳の若さで自らの命をたってしまったことは非常に残念なことだと感じながら、サイモン・シンが暗号に興味を引かれていることを感じました。
それは、まず素数の話=素数と素数を掛け合わせれば非素数となり、非素数から元の素数を導くのは非常に難しいということです。
つまり、非素数が公開鍵で元の非素数が非公開鍵鍵になるわけです。
また、楕円方程式も公開鍵暗号方式で使用されますから。

ところで、この本を読み始めたとき、私は、現代は「現象主義」ばかりで「構造主義」がまれな状況ではないかと感じてしまいました。やはり数学は正しさを求めるもので、”やってみなけりゃわからない”とか”考えている間には行動せよ”や”何事にも素早く反応しなければならない”と良く言われますが、正しいことを証明するには、時間をかけてじっくり考える必要があります。
そろそろ、正しいことを考え、導く人が評価されるべきではないかと感じたしだいです。

ところで、KMC の”ミッシングリンク”はチェーンのコマの連続性が立たれる隙間という意味なのでしょうね。

 

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2008年1月26日 (土)

ICTと哲学 #6

今日は、小中学校におけるICT活用のフォーラムを参観してきました。

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今回が2回目のフォーラムですが、参加者が結構多いです。教育学部の学生さんが半数で、県内外の先生(大学教育学部の先生も)が参加されています。

子供たちの学力向上のために工夫している現場の様子が、生々しく語られました。

その中で、ICT のCは「人と人との直接の会話などのふれあいで、まったくAnalog ですね、ITだけでよいですね」という聴講からの意見がありました。
これ自体は、哲学的で深いことですが、この場ではあまりふさわしくありませんでした。

「すべてのモノは互いにつながり影響し合っている」という、哲学的、密教的な話になってきます。神の存在も語ることになります。
この、2-3年の間で”IT”から”ICT”と言われるようになってきたと思います。これは、e-Japan から U-Japan に変わったときと重なるはずです。

つまり、モノとモノのつながり、つまりはUbiquitus です。
哲学的、密教的には「もともと、互いにつながり影響されている」ので通信技術は必要ないのですが、情報(コンピュータのデータ)として扱う場合は、RF-Tag やデータコードやNetwork などのIT 技術が無ければ通信できないのです。残念ながら。

ところは、人は、見ただけでわかり(直観)、会話すること(書籍を読むこと、記すること)で影響しあいます。学校という限られたコミュニティでつながる場合は、直接的な対話が課のです。ですからAnalog でよいのです。
このコミュニティが、地域や県外、全世界と広がれば通信技術を利用した Communication が必要になります(神ではないので)。そういう範囲で即時的なCommunication を行うのがICT ですね。

学校の現場という、今の私には遠いコミュニティの話でしたが、とても考えさせられるフォーラムでした。

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