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2007年2月17日 (土)

ICTと哲学

Internet が流行始めたとき、文化を考えることがひつようでした。
Internet の世界は米語が標準語で、Internet に接続すれば、”だれでも世界中の人々とコミュニケーションができる。そのときの共通語はその米語になってしまう。だから文化を考える。”でした。
特に、他民族国家で国の標準語を持たない発展途上国などは、”米語に汚染される”、”米国文化に自分たちの文化が駆逐される” だからInternet を接続しない。またまた、仏蘭西のように、米国が嫌い、自分たちの文化で進む。だから Minitel を進めるでした。

海の向こうから、Internet がやってきて、e-mail と news group が使えて、パソコン通信と何が違うんだといっていたうちに、NCSA Mosaic でWWW を体験して。そして、Netscape Communications がSSL を引っさげて、商用Network として海を渡ってきました。このとき、前述のような文化を考える、いかにInternetを活用するかということが語られていました。

当時バンダイは、Internet の渡来でDigital Contents に注目して、Apple の技術を使って Pippin @ というマルチメディアPC(MPC)を世に出していました。当時のMPCはなんと言っても富士通TOWNSでした。Windows がMultimedia対応する以前で、学校にかなり導入されていました。またB-TORONも学校に導入してゆくことになっていましたが、あの外圧でWindowsも採用されました。その後のWindowsの隆盛はご存知のとおりで、Pippin @ はほとんど日の目を見ず、TOWNSはWindows PCとなりFM-Vへ統合。B-TORONは、超漢字がソフトウエアとして残り、I-TORONは rial-time処理OSとして組込み機器用(特にケータイ)で大成功ですが、PCとしては消滅ですね。後のゲーム機ですが、Windows-CEを搭載したセガ ドリームキャストはPippin @と同じような終焉です。

話が、かなり飛びましたが、このようなInternet 黎明期に、バンダイが Multimedia contents のセミナーを開き、それが Internet を主題として、月尾嘉男が文化を語る(確か洞窟の話もしていましたが内容を忘れました)、そしてNetscape。私は、Internet を接続するためにOS/2を購入しましたが、結局つながらず、Windows 3.1に接続Kit を導入して、Compuserve で利用(Mosaic そしてすぐに Netscape)していました。e-mail は相手がいなく、何していたか忘れました。当時、Internet 上のContents は少なかったのです。第一通信料が馬鹿高い。当時進んでいたのは、やはりNTTですが、あくまで実験レベルです。その担当者が通信料が馬鹿高いというほど高かったのです。後は、Contents を多く持っているところ新聞社などです。やはり当時は、文字Contens が主流です。

やっとこのあたりから本題なのです。ICTの歴史を簡単にいかに示します。

1:「汎用機(IBM)」→2:「Network Work Station(DEC,SUN,Apollo)」→3:「MiCom」→4:「PC(Apple,MS,Commodore、NEC」→5:「PC:LAN」→6:「Internet」→7:「Internet(Web2.0)」→8:「Internet+Ubiquitous」

2までのphase では、1台のComputer を複数の人が利用していました。
3-4で、一人に1台のComputer になりました。
5は、限られた領域で複数の人々が互いにComputerを介して情報交換します。
6で、全世界の不特定多数の人々と互いにComputerを介して情報交換できます。
7で、個人がComputerを介して世界の不特定多数の人々情報配信できます。
8では、世界に遍在する不特定多数のComputer同士が情報交換できます。

このように、5までは、情報よりそれを利用する人の方が多かったわけです。
6で、入手可能な情報が膨大になり、7以降、人間の数よりも情報の方がはるかに多くなり、もう収集がつきません。

自分自身、5までは、空覚えで情報の整理ができていましたが、6でNOTEが必要になり、7で破綻してしまいました。もう今までのやり方ではどうにもなりません。
私自身、Windows 3.1 の時代からDocument 管理Systemを企画しているのになんということでしょう。これからが、したがって自己改革が必要になってきました。この2年間かなりあがきましたが、やっと光が見えてきました。それが、一つ前のBlog(記事)です。

5の黎明期間では、Indexで情報は管理できました。
ここから7の多くの場合、辞書的検索で整理できているようです。だから、全文検索Engine で、情報を一網打尽に取り出し、しこしこ振るいにかけています。そろそろ破綻しそうですね。検索サービスではScoreをつけて重み付けを自動化していますが、それを情報操作との批判もあります。

どうして、これが哲学か?それはまだまだこれからなのですが、まずは、哲学的に

まずは、
人の存在論(Ontology):それは誰か、何のために、役割は、目的は、考え方は、価値観は...

意味論(Semantic):それは何か、何があるのか、機能役割は、何のために、目的は...

神の存在論(Ubiquitous):全地球的に、ところを問わず、何気なく、それが何かが分かり、目的を持って役割をはたす...

モノ(Individual)が生まれた(生成された)とき、の存在(意味)を自らに記録する必用がある。そしてそれは、知らないうちに、何者かに参照されて(ただし生まれたことを知らせる必用はある)、強調して、新たな役割をもはたす。まさに人の人生。それを知る神が存在する。

Semantic Web の仕組みは、Computer の中にに閉じこめられていた、Object Oriented Programing を現実世界へ拡張させることができ、哲学的営みをSimulate させることができる。したがって、人間本来の営みの一部を情報System に肩代わりさせることができる。

すでに、情報System の中でこの肩代わりは実現されているが、この哲学的Scopeで考察することで、より明確化が行え、本質や概念を知ることができると感ずる。

 

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